京都企業発いい言葉

「与えられている時間はどの企業も同じ」

永守重信(日本電産)

「世界一になる!」─こんな目標を掲げて、私が仲間3人と日本電産を設立したのが1973年のことでした。事業の中心に据えたのは、学生時代から研究し続けてきた精密小型モータでした。こうして、4人しかいない日本電産が誕生したのです。
しかし、資金は全くなく、自前の工場すら持つことができませんでした。私たちが持っていたものは、「世界一」に挑戦する気概と気迫、独自の発想と技術力だけでした。物質的には「無」からの出発でしたが、世にない技術や性能を持った製品を創ることができれば必ず道は拓ける、と信じていました。

http://www.nidec.co.jp/corporate/message/index.html

 


 「分野を限定して集中的に攻め込む企業が勝つ」

 

石田隆一(イシダ)
http://www.ishida.co.jp
http://www.ishida.co.jp/company/rinen_taikei.php
http://www.ishida.co.jp/recruit/know/philosophy/index.html

石田衡機の誕生は明治26年。明治政府からの要請を受けて設立された。ところが昭和34年に尺貫法からメートル法に切り替わり、それまでの概念が覆されるとともに経営危機に陥る。

石田隆一社長は4代目。その翌年に大学を卒業すると社長である父親の右腕として働いた。ある日経営コンサルタントに会社の危機を相談したところ「今すぐ経営改革に乗り出せばまだ何とかなる」と言われた。

その時父親は会社の経営理念について自分も相手も第三者もよくなければならないという「三方良し」と答えた。コンサルタントは「それでは会社がつぶれる」と言ったが父親は「結構です」と答えたという。この「三方良し」が今も会社の基本方針となっている。

さらに試練は続く。祖父と父親が相次いで亡くなり30歳で社長になるも直後にやってきたのはバネ秤から電子秤への技術革新の波だった。大手電気メーカーがこの業界に参入してきたがしかし、イシダはひるまず技術改革を成し遂げ見事生き残ったのだ。経営理念と目標さえしっかりしていれば必ず何とかなる。「盛時におごらず衰時に悲しまず」だと石田社長は話す。

 

はかりのイシダの名が世界に鳴り響いたのは昭和47年。コンピュータースケールが開発された時だ。これは組み合わせ計量機といい例えばピーマンの袋詰め作業をする際、すべて一定量になるように詰めるには手作業だと膨大な時間がかかる。しかしコンピュータースケールは1000以上 の組み合わせの中から誤差わずか0.5グラムで、しかも1分間に150回というスピードで選別され袋に詰められる。

この機械が海外で出展されると その動きと驚くべき正確さのため「モンスター」と呼ばれ、現在ではこの分野の世界シェア70%を誇っている。 イシダのはかりは欧米やヨーロッパでも絶大な信頼を集めている。石田社長の目指す企業像は最大よりも最良、そして世界に冠たる中小企業。今のイシダはまさにそれを実現している。

 http://www.tv-osaka.co.jp/columbus/2001/0908.html

 

 


 

「二宮尊徳のように鍬一本でやらんか、零細企業が働かんかったらなにがあるんだ」

稲盛和夫(京セラ)

http://www.kyocera.co.jp/inamori/index.html
http://www.kyocera.co.jp/company/philosophy/index.html

1959年、27歳のとき、一介のセラミック技術者であった私は、支援してくださる方々もあり、7人の仲間とともに、京都セラミツク(京セラの前身)を創業した。爾来約40年、京セラを中心とする企業グループの経営に、私は持てる力のすべてを傾注してきた。

私は、経営や人生の局面において、壁に突き当たり、悩みもがき苦しむとき、そのつど人間として何が正しいかという原点に立ち返ってものごとを考え、その原則に従って行動してきた。ところがその日々の集積は、いつの間にか信じられないような成果をもたらしてくれたのである。

集団が機能し、成果を生み出すためには、そのめざすべき方向が明確であり、その方向に集団を構成する全員のベクトルを合わせなければならない。企業であれば、ベクトルを合わせるのは、経営理念や社是と呼ばれる規範である。そして、そのベースには、根幹となる考え方あるいは哲学が存在しなくてはならない。私は、創業間もない頃から、一日一日を懸命に生きる中で学んだものを折に触れまとめて、「京セラフィロソフィ」として、全社員で共有するように努めてきた。

それは、人として生きる上での基本的な考え方、換言すれば「人間として正しいことを正しいままに追求する」ということをベースとしている。

このような「フィロソフィ」は、一見企業経営にとって無縁なものに映るかもしれない。しかし、私は人間のあるべき姿を追求することにより、経営のよって立つべき座標軸も明らかになると信じている。経営というものは、経営者の人格の投影でしかあり得ない。そのため、人間として正しい判断基準を持てば、それは必ず経営の実践の場においても有効に機能するはずである。

 http://www.kyocera.co.jp/inamori/management/index.html

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