このアーカイブは ‘経営・ビジネス’ のカテゴリーです。

仕事と4つの幸福

残業と幸福に関する興味深いニュースがでました。 ***************************************** 「今、幸せ」と感じているビジネスマンは職場で必要とされていると感じ、残業も多い…。市場調査会社「ニールセン・カンパニー」(港区)などが行ったビジネスマンを対象としたアンケートでこんな実態が浮かび上がった。  調査は2月に首都圏や関西圏などの25~49歳の男性ビジネスマン1000人を対象にインターネットで実施。その結果、「職場に必要とされていると思うか」の問いに「はい」と答えた817人のうち76%が「今、幸せ」と回答したのに対し、「必要とされていない」183人のうち「幸せ」と答えたのは48%だった。また、月に70~100時間残業している48人と同30~70時間の295人のうち、「幸せ」と答えたのはいずれも約8割だったが、残業ゼロの177人では半数程度だったという。  不況のせい?残業多いビジネスマン「今、幸せ」 4月9日20時11分配信 産経新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090409-00000621-san-soci ***************************************** タイトルは、”不況のせい?残業多いビジネスマン「今、幸せ」”と不況なのに仕事が沢山あるのは幸せな事ってちょっと皮肉な印象を受けますが、私は違うと思いました。仕事の楽しさが解った人には残業は苦痛じゃないし、仕事に打ち込む事によって充実感を得ているのは間違いありません。私自身仕事が好きで残業は苦になりません。土日も家で働く、家族と外食していても「あ~早く家に戻って仕事の続きをやりたい」と思うほどです。三度の飯より仕事が好きで、体力の続く限りやりたいとPCの前で毎晩2時まであれこれやってますからいわゆるワーカーホリックなのかもしれませんが、自分がストレスで鬱になったり過労死する可能性はゼロだと思っています。勿論、泥沼プロジェクトや問題対応で心底疲れ果てることはあります。それでもですね「やっぱり仕事が楽しい」と思える自分は幸せ者だと思います。決して裕福ではありませんが、働いた分程度は稼いでいるのでお金の苦労もさほどありません。 仕事が楽しくない、時間が来たら即帰宅、残業なんて苦痛以外のものではない・・・・そういう人は実にお気の毒です。達成感や物事にひたすら打ち込む充実感というものをあまり感じた事がないか、報酬について打算的な考えしか持っていないのかもしれません。その結果としてお金がないのかもしれません・・・・。「何の為に働くのか」という問いは非常に大切です。おそらく「それは生活のためです」と応えるでしょう。つまりお金です。勿論お金は大切ですが、目的がお金になってしまうと仕事も人生おかしくなってしまいます。 では仕事の本質とは何でしょうか?北尾氏の著書「何の為に働くのか」は中国の古典をベースにした立派な内容で働く意味を以下のようにまとめています。 「働く事が人間性を深め人格を高くする。 働く事は人間を磨く事、魂を磨く事だ」 これはこれで、文句のつけようがありませんが、並の人間には高尚な響きが強すぎるかもしれませんね。 私にとって「なるほど」と思うのは「日本でいちばん大切にしたい会社」坂本 光司 (著)に出てくる日本理化学工業株式会社の話です。 ***************************************** 知的障がい者雇用のきっかけ 例えば、知的障がい者雇用のきっかけは、知的養護学校の先生が卒業予定者の就職依頼に来られて、私が「そういう人は…」と断ったとき、「尋ねた会社には皆断られました。就職できないこの子らは十五歳で親元を離れ、施設に送られ、働くことを知らずに一生を終えてしまうのです。せめて実習だけでもやらせてくれませんか」との言葉に、つい同情して、可哀そうの思いで受け入れたのでした。 また、それから間もなく、すでに引退されましたカバ園長で有名だった西山さんが、まだ上野動物園に勤めておられた頃、テレビを通してこんなことを云われたのを聞いたのです。「最近の上野動物園の動物は自分の産んだ子も育てようとしなくて困っているのです。やはりお腹を空かした子どもの泣き声に必死になって餌を探し求め、荒野を駆けめぐる生活になっていないと、子どもを育てる本能までもなくなってしまうのです」と。保護だけでは動物も駄目になってしまうことを教えられたのです。 その後さらにまた、心に響いたのは禅のお坊さんの言葉でした。私は重度の知的障がい者は施設で保護されていれば、一生楽に暮らせるのに、仕事でいろいろ注意されても、施設に帰りたがらないのを不思議に思って、「なぜかわからないのですが」と尋ねたとき、お坊さんは、一瞬考えると思っていたところ、即座に「当たり前ですよ」と云われました。「大山さんはほどほどに物やお金があるでしょう。それで幸せと思っていますか。究極の幸せは四つです。一つ目は「人に愛されること」、二つ目は「人に褒められること」、三つ目は「人の役に立つこと」、四つ目は「人に必要とされること」です。愛はともかく、あとの三つは仕事で得られることですよ」と。企業は人間みんなが求める究極の幸せを与える場だったのです。企業の大きな使命を教えてもらいました。 http://www.rikagaku.co.jp/profile/philanthoropy.htm ***************************************** 五体満足な我々は案外こういうことには気付かなかったりしますよね。健康で働けるだけでも感謝です。そして仕事に打ち込めばお金もキャリアも幸福も顧客満足も社会貢献も後をついてきてくれるものではないでしょうか? 私たちはビジネスをやってそこで損得勘定を繰り返しているわけですが、仕事というものは別軸で捉えた方が得られるものは多いかもしれませんね。

日本で一番大切にしたい会社

講 演「日本で一番大切にしたい会社」法政大学大学院教授 坂本 光司氏(09-4)  著書「日本で一番大切にしたい会社」(あさ出版)で、経営者はもちろん多くの人に感動を呼んだ坂本教授の講演要旨です。中小企業6千社を訪問調査、そこから「心揺さぶる経営」の数々を紹介されています。大学教授の傍ら、中小企業庁経営革新制度評価委員会委員長を務め、執筆・講演など八面六臂の大活躍。「何よりも社員とその家族を大事にすること」が日本的経営の本質と説いておられます。

最も重要な企業目標は何か?

流動的でカオスとさえ形容できる競争環境のもとで、企業はどう勝ち残り、またいかに社会的な存在価値を発揮し成長することができるのか。 20年以上前、経営学の権威ピーター・F・ドラッカーは「企業の目的は顧客満足の創造である」と宣言した。その後1982年に発表されたビジネス書の名作「エクセレントカンパニー」以来、企業はこぞって文字通り顧客満足を追及するようになった。多くの企業は単に売上高を追求するのではなく、顧客満足に焦点を当てるという新たな市場原理の導入と実践に進んでいったのである。 しかし、企業目標としての顧客満足でさえ、はもはや活力を失ってきたように見える。今や企業は、顧客満足の追及が正しい方向への1ステップではあるが、競争の激化した市場に於ける確かな解決策ではないということに気付き始めている。又、従業員レベルでは顧客満足はもはや当然のこととして聞き飽きたお題目になっていないであろうか? 顧客満足は「結果」であって、事業活動そのものではないからである。何がその満足をもたらしているのかを突きとめない限り、あなたは顧客に対しなにもできないのである。この顧客満足をもたらしている主要因が「顧客価値」である。顧客からの不断の愛顧を得るための特効薬は、顧客満足よりもむしろ顧客価値にある。 顧客は製品やサービスに何を求めているのか? 顧客はどのように企業に対応してもらいたいと思っているのか? 手に入れるものの代償として、いくらなら支払ってもいいと思っているのか? 顧客が市場に存在する唯一の理由は、彼らが何らかの価値を求めているからにほかならない。顧客が求めている価値を提供し、その価値を競争相手よりも多くもたらすビジネスが、顧客からの愛顧を獲得するのである。そのことを踏まえたうえで、企業は顧客にどのような価値をもたらすべきか?何のために企業は自らのコア・コンピタンスを活用すべきか?を考えるべきだと思う。 例えとしては良くないかもしれないが、自然界の共生関係となんら変わりはないと考えられる。 サービス業の場合、顧客価値や顧客満足は「人的資源」つまり従業員からもたらされる要素が大きい。企業は結果として得られるであろう顧客満足を追求するまえに、顧客価値の追求をしなければならないし、それらを生み出す従業員に価値を提供する事なしに成功する事は出来ない。幸せな従業員はよろこんで価値創造に参加してくれる。満足度の高い従業員を作る事がマネージメントの責務だと考えていい。企業の中で人財を育てる仕組みづくりは今後益々重要になってくるのは当然の事だ。

なぜウサギがカメに負けたか?

創業88年、売り上げ3000億円を超える医療メーカー・テルモの和地会長は、経営者が備えるべきリーダーの条件の一つに「高い志を持つ」ことを挙げています。 この言葉は、人はどこに目標を置くかでその心持ちも結果も変わるということでしょう。 「ウサギとカメ」の昔話で、なぜウサギがカメに負けたかというと、ウサギが目標としていたのは「カメに勝つこと」であり、 カメが目標としていたのは「山の頂上に行くこと」ではなかったか。 そのため、たやすくカメに勝てると思ったウサギは途中で居眠りし、 カメはウサギに勝つことが目標ではなかったため、ひたすら頂上を目指せたということでした。

CHANGE(チェンジ) と CHANCE(チャンス)

CHANGE とCHANCE は「G」と「C」の一文字しか変わりません。意味は「変化」と「機会」です。「変化は最大のチャンス」といわれるように、今の世の中のように変化の多い時代だからこそ、たくさんのチャンスがあります。ところが、このチャンスというものを手にして自他共に成功者と認められる人は、たったの2%しかいないそうです。では、その差はどこで生まれるのでしょうか? G の部分のT を取り除くとC になります。このT こそがポイントなのです。これはTrouble のT といわれ、つまり問題・異論・反論・苦労・苦痛・不安・不満・恐れなどのことをいい、ほとんどの人たちはこのようなトラブルであるマイナス要因から逃げてしまうのです。要するに逃避してしまうことにより、GからTを取り除くことができないためにチャンスを手に入れることができないのです。変化するときには必ず付きまとうのがトラブル(問題・異論・反論・苦労・苦痛・不安・不満・恐れなど)なのです。これを逃げずに勇気を持って立ち向かい、取り除くことによって2%の可能性が手に入るのです。 自分が失敗することを恐れてはいけない、 それをしなかったら決して成功しないだろうということを恐れなさい。 (エジソン) 成功とは99%の失敗に支えられた1%である (ホンダの創業者、故本田宗一郎氏)

失敗と成功の密接な関係

「失敗=うまくいかないやり方の発見=成功」 トーマス・エジソン 「ビジネスにおいて達成されてきた大きな成果は、考え得る最悪のときに起こった問題の副産物である」と言われることがあります。 面白いもので、失敗と成功は密接に関係していて、失敗が成功のきっかけとなることは決して少なくないのです。 ナポレオン・ヒルは『思考は現実化する』という著書の中で、「チャンスの種は逆境の中にこそある。」と述べていますが、この不況期こそ最大のチャンスと捉え打つべき手を打っていきたいものです。事業を根本から見直す最大のチャンス到来です!

Japan Brand ~成功のための3つの提案~

Japan Brand のイベントがNYのFelissimo Design Houseで行われた。  http://www.felissimo.com/japanbrand/index.html 招待客用のレセプションは入り口に列が出来るほどの盛況。中もぎっしり人が入っている。Design21のときも凄かったが、改めてFelissimoさんは集客が上手いな~と感心。 さて、Japan Brand であるが、米国での展開を考えてみよう。私は以下3つのポイントを挙げてみたいと思う。 1つ目は商品力。 Japan Brandに選ばれているぐらいだから品質はお墨付きだ。USPとしての独自性もあり、伝統文化としての模倣困難性も非常に強い。前回のブログ記事で紹介したがUSPには2つの側面がある。その一側面は満たしているといえるだろう。問題はもう一つの側面つまり「お客様にとっての利点」である。 お客はこれら工芸品を手に入れる事によってどのようなベネフィットがあるのか?そもそも伝統工芸は遠い昔に日本の文化の中で生まれたものであり、21世紀のアメリカをターゲットに商品開発された訳ではない。つまり「消費者ニーズをまったく無視した商品」になりうる可能性があるわけだ。商品と消費者をつなぐ時間軸も空間軸も違う。空間軸が同じ日本にあってもヒット商品を出すのは簡単ではない、なにもかもが違うアメリカでは尚の事だと考えるべきであろう。従って、書道の筆を化粧筆にしたり、仏前用の線香を、室内香にしたりと、応用商品としてのアメリカ向け商品開発やアプローチは不可欠だと思う。  2つ目はビジネス・システム(流通)。 いくら優れた商品でも、それが売れる仕組みを作らない限り売れはしない。ビジネスとして成り立たせるためには、幾つかの条件が必要であるが、その中でも流通のチャンネルとして重要なのは(弊社の立場から言わせて頂けば)インターネットである。昨年12月、Amazon.comが記録的な売り上げを上げたニュースをご存知の方もあると思うが、アメリカでの小売はますますオンラインに傾倒しつつある。実店舗とオンラインショップ(EC)の一体どちらが必要かつ重要であろうか?本で言えばアマゾンは実店舗を必要としないが、バーンズ&ノーブルはオンラインショップを必要とする。全部が全部同じではないにせよ、事実としてオンラインショップは今後ますます重要になっていく。問題はJapan Brandには現時点でオンラインショップがない事だ。伝統工芸というどちらかというとニッチな市場を相手にせざるを得ない商材だからこそ、ロングテールには是非理解を示して頂きたい。商品が売れるための最低条件としてオンラインストア開設の必要性を感じる。 3つ目は人材。  実はこれが最も重要で根っ子にあたる部分である。オンラインストアや展示会などを通じ積極的にPRを打ち、プロモーションをかければそれなりの成果は得られるであろう。しかしながら外部の業者を使ってやっているうちは真のJapan Brandは育たないと思う。Japan Brandを育てるためには、工房でものづくりをする職人レベルでの「国際化」が必須であると思う。なにも流暢に英語を話せとまで言わないが、少なくとも海外で自分の作品を売ってみるなどの模索は必要であろう。「海外で売れた」と「海外で売った」との違いは大きいのである。そういう意味において、「魚を与えるのではなく、魚の獲り方を教える」という方向性で次世代の人材教育にも是非力を入れて頂きたいと願う。とりもなおさず、それはJapan Brandだけでなく、多くの企業や個人にとっての課題であるように思うし、Japan Brandを通じてのブレークスルーが明日の日本を明るくする事だって出来るかもしれない。 以上、樹木に置き換えると、1つ目の商品は葉っぱ。2番のビジネス・システムは幹や枝、そして、3番目の人材は根っ子に相当する。どのようなビジネスにも共通する事だが人材育成なくして長期的成功はありえない。さらに推し進めて考えると、人材教育の要諦は見えない企業理念や哲学にこそあると言えるのである。なぜならば、人材(人格)とはそもそも見えない精神で成り立っているものだからだ。今後ますますこの無形資産が重要な役割を負う様になるだろう。 最後に、Felissimoは私が最も尊敬する企業の一つである。その理由は、企業に於ける哲学や理念に対しここまで真摯に取り組んでおられる企業は世界中でも稀だと思うからだ。ここでは経営哲学が芸術に昇華されている。私はそのFelissimoがJapan BrandのNYでの受け皿となっておられる事に天意すら感じるのである。

仕事に大切な「素直さ」

命懸けの戦いとは、 過去の実績や栄光を排除し、 いま、ここにいる自分の力がすべてと考え、 あらゆる才能を駆使して 勝負に集中する戦い方をいうのです。 これには「素直」でないとできません 林成之(日本大学大学院総合科学研究科教授) —————————————-

自分を説得できるか 

自分自身を説得できるかどうかが、成功の第一条件。                   孫正義(ソフトバンク社長) 自分のやっていることと、本心が一致しているか考えてみよう。 自分の行動の邪魔をしているのは、他人ではなく自分自身かもしれない。 本心と行動を一致させて、迷いをなくし全力を出し切ろう。

半人前と一人前は何が違うのか

本当に権限が欲しいならば、しかもそれが顧客の為になるならば、与えられるのを待っているのではなく、みずから奪いにいくべきでしょう。日本アイ・ビー・エムの取締役専務執行役員に内永ゆか子氏がいますが、彼女が新人だった頃、男女雇用機会均法はまだ制定されておらず、一般女性職員の深夜残業は禁止されていました。しかし、最高の仕事を成し遂げるには時間が足りなくて、女性トイレに隠れて仕事をしていたそうです。 (中略) ヒナは、親鳥が餌を運んでくれるのを、巣の中で口を開けて待っています。でも、一人前になれば、自分で餌をとりにいきます。あなたがプロフェッショナルを自負するならば、もう答えは出ているはずです。それは「半人前と一人前は何が違うのか」という問いへの答えでもあります。 ザ・プロフェッショナル~p21~ 大前研一 ****************************************************** いや~凄い話ですね。勿論、弊社ではここまで要求する気はありませんのでご安心下さい。但し、半人前と一人前は何が違うのかという問いかけに対しては見解を同じくしています。 今回はよくある要求についてLotusとしての見解を纏めて見ました。 1.給与(報酬)について 「もっと給料を上げて貰いたい」とは誰しも思う自然な感情でしょう。私自身も同じで給料を10倍にしたいと願っています。勿論、社員に対してもフェアであり出来るだけ報いてあげたいと思っています。 肝心なのはそれに見合うだけの成果が出ているか否かです。「こんなに頑張っており、成果も出ているんだからもっと払ってあげよう」そう思わせる事が出来るか否かは、本人自身にかかっているといえるでしょう。会社自体も同じことです。より収益を上げたいのならそれに相応しいサービスや商品を提供していくこと以外には道はありません。報酬とは会社業績に対する分け前ですから、会社の利益に貢献してはじめて自分にも分け前が落ちてくると思ってください。残念ながら期待の時代はもう終焉を迎えました。 2.自由(裁量)について 「もっと自由や裁量が欲しい」これも誰しも思うことです。特に優秀でモティベーションの高い人は少なからずそう思っているでしょう。人間は基本的には自由です。会社や他人の指示に従って生きれるものではありません。 但し、ここで言う「自由」とは勝手気ままなことをさすのではありません。本当の自由には責任が伴い、自分がその責任を取るという覚悟や、自分を信じる勇気が必要なのです。もしあなたが、自分の力を信じ、行動や結果に対する責任を持つという覚悟があるならば自由はあなたのものです。私はその自由を尊敬し応援したいと思います。 こういう風に考えていくと、自由とは与えられるものではなく、自ら創ることが出来るものだと言えますね。自由とは書いて字の如く「自らに由る」事なのです。決して「他に由る」ことではありません。真の自由とは何かということを理解していない人に真の自由を与えることが出来るでしょうか?それはありえないように思えます。 手入れを怠ると人間の心には雑草が生えるものです。それに従って行動も安きに流れることでしょう。例えば会社が「勤務時間自由」を宣言したとしましょう。恐らく99%の人は安易な方向に流れます。昼過ぎに出社するとか、欠席や早退が多くなるとか・・・・。容易に想像できますね。でも、成功する人は自らを律し早朝出勤できる人だと思います。自由だからこそどちらを選ぶかはあなた次第になります。殆ど全ての人は成功を願いますが、行動は逆方向だったりするわけです。 Lotusでは人間を創っています。それとあわせてWebも創っています。 質の高い作品を作るためには、その作者自身の質が高められなければならないと考えています。  

心を込めて仕事をする

Do your work with your whole heart, and you will succeed – there’s so little competition. Elbert Hubbard 心を込めて仕事をしなさい。 そうすればあなたは必ず成功する。 なぜなら、そういう人はほとんどいないからである。

大きい鉄の玉を転がす

私はビジネスを大きい鉄の玉だと思っています。力を振り絞って押しても微動だにしない・・・。しかし、何年も押している間にだんだん筋肉がついてくる。そして、押すのを手伝ってくれる人も現れる。力とベクトルをあわせて頑張れば大きい鉄の玉が少しずつ動き出す。そして一旦動き出したらしめたもの。力を入れなくてもどんどん転がります。 同じような譬えですが、よくゼロから火を熾すのは難しいですが、一旦ぼうぼうと燃え出すとあとは火を絶やさないようにすればOKなんですね。 ロバート・キヨサキはこう言ってました。自分には2人の父親がいる。仮に家を買うとする。一人は「I can’t afford this (私には手が出ないね)」といい、もう一人の父は「How can I afford this?(どうやって手に入れよう)」と考える。諦めればそれ以上前には進まないが、「どうやって手に入れよう」と積極的に考えることで脳が活性される。ロバートによれば金儲けとはまさにこれで、毎日ジムに通って体を鍛えるように、頭の方も鍛えなければならないわけだ。勿論、5年、10年すれば両者には歴然とした差が出る。 「そんなことは当然だよ」と殆どの人はこの話に賛同するだろう。しかし、本当に我々は自分自身が手に入れたいものに対して積極的に取り組んでいるだろうか?自分自身の夢や希望に対して半ば諦め現状に自己満足していないだろうか? 自分自身の可能性を信じ「出来るはずだ」と信じることが出来る人間がその目標に向かって努力することができる。その努力はやがて成功体験になり、「自分には出来る」という信念をつくり、成功を次々と勝ち取ることになる。

努力の上に辛抱という棒を立てる

タレントの桂小金治氏は十歳の時、明治生まれの厳しい父親から、 「おまえ、年が二桁になったんだよ。いつまでも親に食わしてもらえると思うな」と言われ、家業の魚屋の手伝いをするようになったそうです。 ある日ハーモニカが欲しくなって父親にせがんだところ、「いい音ならこれで出せ」と草笛の手本を披露してくれました。小金治氏も練習を始めますが、数日でやめてしまいます。 それを知った父親は「一念発起は誰でもする。実行、努力までならみんなする。一歩抜きん出るには努力の上の辛抱という棒を立てるんだよ。この棒に花が咲くんだ」と諭します。 この言葉に触発され、来る日も来る日も練習を続けて、ついにメロディが奏でられるようになるのです。 数日を経て目を覚ますと、枕元に新聞紙に包んだ細長いものがありました。開いてみるとハーモニカでした。それは努力の上に辛抱という棒を立てたことへの父親からのご褒美だったのです……。

レバレッジ経済の崩壊

世界経済はいま「レバレッジ経済の崩壊」に直面しているのだと認識している。レバレッジ経済をざっくり約せば、実体経済上での価値を、ロジックと数字をあれこれこねくりまわして何十倍もの価値があるように見せかけて、それを経済価値として流通させるということ。 最近になってよく耳にする「実体経済」の対義語は「資産経済」である。資産経済つまり金融はそもそも実体経済を支えるものであった。 例えば株式会社はそもそも大きな事業をする為の共同出資とその出資額に応じた分配が基本であるが、証券市場やインフラの整備に伴ってその姿を大きく変えていった。まだ市場に無いものを売買する約束をしたり、手持ち資金の何十倍もの取引を行う事が出来るようになったり、様々な金融商品を組み合わせて債権として取引したりするようになった。そうこうしているうちに資産経済は肥大化しギャンブル化していったのである。数字の操作如何で何億も儲かったり損したりするのはもはや仕事(つまり働く事)ではなくギャンブルとしか言いようが無い。例えば資産100億の会社が一夜にして1/10の10億になったりするのは実体経済ではまずありえないが、資産経済では日常茶飯事である。 先進国、特にアメリカ人は国を挙げてまじめにコツコツ働く事をやめてギャンブルにのめり込んでいった。そのマネーゲームがそろそろゲームオーバーになろうとしているのだ。ゲームオーバーによって今まで稼いだ金をそっくり失ってしまう人もあれば、さほど影響を受けない人も出てくる。 世界恐慌は来るかもしれない。少なくとも心構えはしておいた方がいい。ジョージ・ソロスは「30-40年かけて作られたバブルの崩壊」と言っているが、とすれば割合長い質素倹約を強いられるかもしれない。 ********************************************** オランダ東インド会社 – 1602年3月20日に設立され、株式会社の制度を本格的に導入。それ以前は航海ごとに「座」を開き出資を募る、「当座会社」と呼ばれる形態の会社しかなかったが、リスク分散と恒常的な活動を目的に、当座会社の代表を中心に設立された。 日本では坂本竜馬の作った亀山社中が株式会社の形態に近いと言われるが、 日本郵船が1893年、日本で最初の一般会社法規である商法に基づき設立された株式会社である。

最善の努力をしてみよう

最善の努力をしてみよう。 その結果は努力しないよりもはるかによい結果が得られるはずだ。                       ゲーテ(詩人)